武田氏館は、別名、躑躅ケ崎館といいます。歴史好きにはこちらの方が馴染みがある名称かもしれないですね。
甲府へ行くと必ず信玄餅を買ってしまうわたしですが、武田氏館のあった武田神社へは初めて行ってきました。
天守のような…ザ、お城という雰囲気は全くなく、お堀に囲まれた静かな空間に土塁などが残っている状況です。
この地に信玄公が住んでいたんだな、と思うとなかなか感慨深い場所です。
厳かな空気を感じたのはわたしだけでしょうか。
武田氏館とは
日本100名城No.24 武田氏館
1519年(永正十六年)武田信虎によって造営されました。
信虎、信玄、勝頼の三代が本拠地とし、政務を行った場所です。
武田氏が滅亡後は織田氏、徳川氏、豊臣氏の家臣たちが甲斐の国を統治するために利用していました。
そのころ築かれた天守台の石垣が遺されているようですが、見学することはできないようです。
現在は武田神社として、緑あふれる神秘的な空間として遺っています。
武田神社のすぐそばには信玄ミュージアムがあり、武田氏の歴史や武田氏館跡について詳しく知ることができます。
現在も調査が継続中で、復元整備も進んでいるので、今後も楽しみです。
場所
山梨県甲府市です。
甲府駅からバスで10分ほどです。
甲府駅から武田通りをまっすぐに北上するだけなので、迷うことはないと思います。
徒歩でも行けますが、行きは上り坂を延々とのぼっていかなければならないので、行きはバスにして、帰りは歩いて駅に向かう方が散策も楽だと思います。
わたしも甲府駅に着いて、バス停に行ったらバスが止まっていたので、そのまま乗り込みました
帰りはバスの本数も少なく、街並みをじっくりみたかったので、徒歩にしました。
武田通りでは、万葉植物小園、馬場美濃守信春屋敷跡、山梨大学国府キャンパスなどが見られます。
散策していると時間はかかりますが、普通に歩けば、30分ほどで甲府駅に着けると思います。
入館料
武田神社は無料です。
武田氏館跡を散策するのは無料ですので、立ち入り禁止区域以外は自由に見学できます。
すぐそばにある信玄ミュージアムは一部有料です。
常設展示は無料で見学できるので、ささっと武田氏の歴史を知りたい方は気軽に立ち寄れます。
特別展示室は、
一般 300円
高校生以下は無料です。
団体は安くなります。
武田氏館跡を散策するには、やはり信玄ミュージアムへ訪れてから行くほうがいいと思います。
見どころ
武田神社
名前だけでご利益ありそうです。
授与所で御朱印をいただきましたが、目の前で書いてもらえました。ちなみに信玄公ゆかりの神社ということで御朱印帳も新たに購入しました。
めっちゃかっこいいです
神社の一帯が武田氏館跡なので、神社でお参りはもちろんあちこち散策できます。
水堀
お城といったらお堀ですね!守りの要です。
立派な水堀が一部残っています。
武田神社の鳥居の前の堀には赤い神橋がかけられていて、写真を撮っている方もたくさんいました。
主郭大手虎口(しゅかくおおてこぐち)
神社の鳥居から武田神社へ向かうのもいいのですが、やっぱり大手門でしょ、ということで、大手虎口から入って、それからもう一度鳥居をくぐらせていただきました。
西曲輪北枡形虎口(にしくるわきたますがたこぐち)
虎口、というのは簡単に言えば、城を守るために敵の侵入を防ぐために工夫をした虎口です。
枡形といえば四角の形を思い浮かべられますが、枡形の空間を設けることで、敵は直角に曲がらないと門へ入れないので、守備側としては守りやすいんですよね。
袋のネズミ、じゃないけど、敵を侵入させて門の前で攻撃できちゃうわけですから。
攻める側からしたら攻撃されるの目に見えてるし怖いよね…
なので守備の上では最強の虎口と考えられていたようです。
遺構からだと想像するしかないのですが、それでも残っている野面積の石垣などを見ると、本当に存在していたんだなぁと思いますね。
信玄ミュージアム(甲府市武田氏館跡資料館)
信玄公が好きな方にはたまらない場所ですね。
武田氏の歴史、人々の移り変わり、城下町の様子などが説明してあります。
特別展示室では出土品など貴重なものが見られますし、詳しく知りたい場合は立ち寄ってみるとかなり楽しめると思います。
お食事処もあって、わたしはここでお蕎麦をいただきました。
由布姫とろろそばです。
由布姫は信玄公の側室となって勝頼を産んだ数奇な人生を送ったお姫様ですね。
ちなみにこのお食事処の店名も由布姫。
100名城スタンプ
授与所のところに置いてありました。
わかりづらかったので巫女さんに聞いたら親切に教えてもらえました。
御城印は、御朱印をいただくところで一緒にいただけます。
さいごに
甲府の人達は本当に信玄公を愛しているのがよくわかりますよね。
武田氏館の跡に、甲府城にも行きましたが、やっぱり江戸期の城、という感じで比べてみるとなおさら面白い、というのは本当です。
武田氏が滅ぼされて、時代は移り変わり、徳川将軍家の時代が400年も続いたにもかかわらず、信玄堤などを見てもそうですが、甲府の街は武田氏が愛し整備し、守ってきた土地なんですよね。だからこそ、今もなお愛され続けているんですよね。
武田氏館跡は、武田氏が滅ぼされてから長い年月が過ぎても愛される信玄公の生きた証が見られる貴重な場所だと感じました。
おまけ:勝手に信玄公語り
ここからはおまけ。
わたしの信玄公語りです。
武田信玄といえばいろいろな逸話が残っていますが、『甲斐の虎』と呼ばれた戦国大名で、風林火山とか上杉謙信とのお話も有名ですよね。
ですが、今回は信玄と山本勘助との主従関係と諏訪御料人について。
山本勘助は信玄の軍師として仕えていたことが伝わっていますが、謎多き人物でもあります。だからこそ、様々な歴史小説などでは妄想を膨らませることができるのだとも思いますし、わたしも勝手にあれこれ想像してしまいます。
リーダーシップを発揮する人物には有能な人物がブレーンとして陰で活躍しているものですよね。もちろんそのリーダーに魅力があればこそ、だとも思います。
山本勘助に関する話で、すごいなぁと思う策をひとつ。
諏訪御料人と呼ばれた諏訪家の姫(『風林火山』では由布姫)のことです。
信玄は諏訪攻めで諏訪頼重を自害に追い込んだのですが、そのひとり娘、諏訪御料人を側室に迎えています。
これを提案したのが山本勘助なんですね。
諏訪氏の姫を側室に迎え、子を産ませることで、諏訪氏の人々との縁戚関係を結べるので、諏訪を支配しやすくなる…というのです。
それを聞いただけでもえええ??と思いますよね。
自分の父親を自害に追い込んで、実家を滅ぼした男の側室になるって、どんな気持ちだったんだろう…
と、女性の身としては諏訪御料人の気持ちを考えてしまったりもしますが。
まあそれは今の時代の考えで、当時の武家の姫ともあれば肝が据わっているのかもしれません。
信玄と自分の子が諏訪を支配することになれば諏訪家再興にもつながります。
そしてそれは実現するんですよね。生まれた武田勝頼は諏訪氏の後継者となり、その後、武田家の家督をも継いでいます。
が、武田勝頼は武田家滅亡へと進んでいくわけです。
これが歴史の面白いところでもありますが。
ちなみに諏訪御料人は絶世の美女で、信玄から寵愛を受けていた、という話もあるようで、仲は良かったみたいですね。(現代の感覚ではなんか複雑)
とはいえ25歳という若さで亡くなっています。
信玄に嫁いだのがその10年くらい前、ということなので、15歳くらいで自分の実家を滅ぼして父親を自害に追い込んだ男の側室になるって…やっぱり激動の人生ですよね。
悲劇の姫君と呼ばれるのも無理はないです。
山本勘助の策は、確かにその後の諏訪氏と武田氏の争いを避けることには成功していますが、武田家滅亡、という結果を知ってしまっているわたしたちからしてみると、なかなかひとことでは語れない複雑な心境です。
信玄公に関するお話は本当にたくさんあるのですが、わたし的に印象に残っていたお話を紹介してみました。
そんなことをあれやこれや想像しながら武田氏館を訪問してみるのも、ひとつの楽しみ方です。