東が江戸城ならば西は大阪城。
東軍と西軍、かつて徳川方と豊臣方が戦い、徳川家康が天下統一を果たし、今の東京がここまで栄えているといっても過言ではないと思うのですが…。
豊臣方が勝利していれば都は京のままだったかもしれないですね。
そんな豊臣秀吉が築いた城が大阪城です。
敗者の城が現代では再建、復元されているのに対し、勝者の江戸城は天守台のみ残っているだけですから、不思議なものです。
江戸城も再建の話が出ているので、いつか、東京のど真ん中に天守閣がでーんとそびえたつ日が来るのかもしれません。
本当に面白いなーと思うのはどちらも高層ビルのある都市のど真ん中に広大な敷地があって、それが公園として今もある、ということです。
どちらの都市もお城を中心に栄えていたことがよくわかります。
今回は帰省ついでに大阪城へ行ってきました。
大阪城とは
日本100名城No.54大阪城
太閤、豊臣秀吉が築き上げた居城、大阪城。
けれども現在の天守は三代目なので、豊臣秀吉が直接命じて築城されたものではありません。
豊臣方と徳川方の大戦である大阪の陣で、豊臣方が負け、時代は江戸時代へと突入していくということは歴史の授業で学ぶことだと思います。
豊臣方の敗戦により、大阪城落城、当然大阪城は徳川将軍家の管理下にはいるわけで、二代目大阪城は徳川二代将軍秀忠公が再築しました。
現在も残る江戸時代からの遺構は徳川幕府が再築したもので、豊臣時代に造られた遺構はほとんどみられることはないようです。
まあ徳川家にとってみたら豊臣家の権力の象徴などあまり残したくないですもんね。
ただ、徳川大阪城も落雷による火災で天守は焼失。
江戸時代は西における徳川家の権力の象徴としなっていた大阪城ですが、幕末の新政府軍との戦いで、城の多くが焼失してしまいました。
変わりゆく時代とともに大阪城も失われていったわけですね。
江戸時代から明治時代は時代の変革期で、王政復古の流れになり、徳川家の権力の象徴となっていた全国のお城もこの時に、廃城。その多くが明治新政府によって破壊されてしまいました。
これは反乱を防ぐためでもあったので、時代の変革には必要なことかもしれませんが、歴史的な建造物が破壊されるのはやっぱり悲しいです。
徳川家も豊臣家の残したものや反乱分子は徹底的に破壊しているので、非道と言われても反乱を防ぐことが何より争いを生まない方法なのかもしれません。
ただ、歴史を学んでいると、本当にこの方法しかなかったんだろうか?もっと別の方法で争いを生まない方法はなかったんだろうか?と考えてしまいます。
それは今も世界のどこかで争いが起きているから。
現在の三代目天守は昭和初期に豊臣秀吉が築城した城をモデルにして、市民の寄付金により再建されました。
太平洋戦争時の空襲で多くの櫓や門は焼失しましたが、天守は無事でした。
ですので、今わたしたちが眺めている大阪城は昭和初期に再建された三代目大阪城、ということになります。
場所
大阪城のある公園はかなり広いので、最寄り駅は地下鉄、JR、いくつかあります。
一番わかりやすいのはJR大阪環状線、大阪城公園駅でしょうか。
わたしも今回はそこから出発しましたが、
目的が天守閣で、大手門から入りたい場合は地下鉄を利用するのがいいかもしれないですね。
・大阪メトロ 谷町線 谷町4丁目駅、天満橋駅
・大阪メトロ 中央線 谷町4丁目駅、森ノ宮駅
・大阪メトロ 長堀鶴見緑地線 森ノ宮駅、大阪ビジネスパーク駅
・JR 大阪環状線 大阪城公園駅、森ノ宮駅
・JR 東西線 大阪城北詰駅
・京阪電車 天満橋駅
鉄道の駅もいろいろあってよくわからない、という場合はバスに乗る方法もあります。
大阪シティバスが大阪駅から、水上バスが道頓堀から出ています。
大阪観光が目的なら水上バスがおすすめです。なんせ観光地の道頓堀から船に乗れますからね。
大阪城公園駅にはJHO TERACEという飲食店の入った新しい建物もあるので、大阪城公園をじっくり散策するにはこの駅はおすすめです。
今回羽田から伊丹空港まで飛行機を使ったのですが、上空からも綺麗に大阪城を見ることができました。
本当は上空から古墳群が見たくて探していたのですが、大阪城しか探せませんでした。
空から見るとなお一層、大阪城の規模の大きさがわかります。
江戸城も大阪城も、ものすごい広さがあったのだということと、どちらも高層ビルに囲まれた中の異世界感が漂っていることは同じですね。
入館料
公園は無料ですが、
天守閣の入館料は大人600円、中学生以下は無料です。
団体料金は少し安くなります。
事前購入もできるので、観光客が多い時期は公式サイトから事前にWEB購入していくことをおすすめします。
時間帯によって、チケット購入はかなり並びます。
見どころ
お堀
お堀はすごいです。空からみても、この城攻めるの大変やろな~、と思います。地上戦では防衛のためになくてはならないものですよね。
お堀から屋形船で天守閣を眺めるツアーもあるので、時間があれば利用してみるのもいいかもしれません。
わたしもひとりで時間があれば乗っていたかもしれなんですが、なんせ、家族と一緒だったので、あまりじっくり楽しむことができませんでした。
石垣
大阪城といえば、石垣に使われている巨大な石です。
いやはや、一体どうやって運んだの!?と思うくらい巨大な石があちこちに見られます。その多くが西日本の小豆島から運ばれてきていて、岡山藩大活躍だったみたいです。
残念ながら一番巨大な石は写真が撮れず、(あまりに撮影をしている人が多くて、たくさんの人が写ってしまうので)別のものですが。
これでもかなり大きいですよね。
他にも、大阪城は太平洋戦争時は軍事施設だったこともあり、爆撃によってずれた石垣や、焦げた場所など戦争の傷痕を見ることができ、日本の歴史を考えさせられる場所でもあります。
天守閣
大阪城は何度か訪れているのですが、登城するのは初めてです。
中は博物館となっていて、大阪城の歴史を知ることができたり、武将の衣装を着て記念写真が撮れたり、と城好きには嬉しい体験ができます。
けっこう混むと聞いていたので早めに着いたつもりでしたが、入場券を買うのに10分ほど並びました。
海外からの観光客が大半で、入場するときも英語で案内されました。
場所は日本で、日本の城なのに、日本人がほとんどいなくて、日本語より外国語が飛び交ってる不思議な場所になってました
それでもやっぱり天守閣は登って損はないです。
大阪の街を一望できて大満足です。
お城も豊臣秀吉公築城のものではなく、周りの景色も全く変わってしまったけれど、何百年も昔の人が見た何かを、今のわたしたちも眺めているような気がします。
まあ実際、秀吉公は聚楽邸での滞在の方が長かったようですし、実際は本丸御殿で過ごしていたので、ここから眺めることってあまりなかったのかもしれませんが。
子どもの頃は絶対姫路城!!というくらい姫路城が好きだったので、大阪城のこの色合いが苦手だったけど、大人になって眺めてみるとまた違うよね…
まあそうじゃろうな
歴史的な背景を知った上で訪れるとまた違った楽しみ方ができるからね。日本にはたくさんのお城があって、そのひとつひとつにいろんな人の歴史があるんだよね…
公園散策
大阪城公園の敷地はかなり広いので、散策するのは楽しいと思います。
大阪城ホールや球場などもあれば、幼い子どもたちが遊べる遊具のある場所もあります。
梅林や桃園、あじさい・うつぎ園などもあるので、季節ごとに訪れてみるのも楽しいですよね。
ギフトショップやカフェ、レストランもあるので、疲れたらちょっと休憩もできます。
100名城スタンプ
100名城スタンプは館内のインフォメーションのところに置いてありました。
ちなみに、御城印(登閣証)はインフォメーションのそばにある売店で300円で購入できました。時期によっては限定のものもあるようなので、気になる方は事前にチェックしてから行くといいと思います。
さいごに
大阪城は豊臣秀吉の城、というイメージが強すぎるのですが、徳川家康の子、二代将軍秀忠は子ども時代に秀吉の人質となって大阪で過ごしていました。
まあそれをいえば家康も子ども時代は人質として過ごしていたわけですが。
その人質として過ごしていた大阪で豊臣家を滅ぼしたわけです。
大阪城も徳川家のものになりましたし。
時代の流れもそうですが、どのような思いを感じながら生きていたのかなぁ、と様々な物語を読んでは考えてしまいますね。
でも、戦国時代では当たり前とはいえ、人質生活が楽しかった、なんていう人はいないんじゃないかなぁ
まあそうかもしれんのぉ
豊臣家を徹底的に滅ぼしたかったのは家康よりも秀忠の方だったのかも
なんて思ったりもしましたが、もしそうだったら名前も変えてるかな。
秀忠の秀は秀吉から一字もらったものですからね。
それに妻のお江の方は浅井長政の娘とはいえ、秀吉の養女。
いろんな複雑な感情が渦巻いていたのかもしれないですね。
うーん、現代の常識やものさしであれこれ考えても意味がないかもしれないですが、そういう背景を思い浮かべながら大阪夏の陣などの歴史を眺めてみると、なかなか深いです。
さて、西の象徴大阪城、訪ねてみて思ったのは、やっぱり江戸城も再建してほしい~!ということですね。
かつて日本一の高さを誇ったという徳川将軍家の権威の象徴、天守閣を見てみたいですよね。
そうするとスカイツリーから江戸城を見下ろすことになるのかしら!?
それはそれでまた歴史の面白さでもあるのかな。
大阪城もあんなど真ん中にあって、かつてこの城を中心に街が栄えていったんだな、ということが本当によくわかります。
今もその痕跡は残り続けていて、周囲には高層ビルが立ち並んでいますからね。
名もなき多くの人達が携わってきたであろう、この歴史的な場所、そしてお城の存在はずっとこの先の未来も残ってほしいな、と感じました。