わたしは子どもの頃から宮沢賢治のお話が大好きでした。
小学3年生のときにはじめて教科書に載っていた【やまなし】を読んだのですが、あの時の不思議な感覚を今でもよく覚えています。
クラムボンてなに?
という疑問から、とにかく何度も何度もお話を読み返して、自分の中でものすごい妄想にふける、ということをやったのは、【やまなし】が初めてです。
もともと本は好きで、当時は絵本や童話、簡単な小説を読んでいたのですが、この宮沢賢治独特の世界観みたいなものは衝撃的だったんですよね。
自分で【やまなし】の世界観をイラストにしたりしたのもはじめてのことでした。
それから宮沢賢治の作品を読み始め、彼の世界観にどっぷりはまり込んでしまったのは言うまでもなく…
そして、その宮沢賢治の作品との出会いがわたしの人生を大きく変えることになりました。
そんなお話です。
人生を変えた【銀河鉄道の夜】
いつかどこかで、わたしの宮沢賢治愛をなにか形にしたい、というのは常に思っていました。
そんなときにチャンスが。
高校の国語の授業で、好きな本の書評というか、レポートかな、そういうのを作ることになったんです。
読書感想文とはまた違って、作家について調べたり、その本がどうして好きか、その作品の背景は、何がそんなにいいのか、そしてその作品をどうして読んでほしいと思うのか、みたいなことをまとめるんですよね。
高校生の時にレポートを書く
わたしは迷わず【銀河鉄道の夜】に関するレポートを書いたんです。
【銀河鉄道の夜】ってご存じの方も多いと思いますが、未完の名作とも呼ばれているほど、これは未完成の作品なんですよね。
永久の未完成これ完成なり
これも宮沢賢治の有名な言葉ですが、その言葉の通り、彼の作品には未完成のものが多数あります。
【銀河鉄道の夜】も彼の推敲しているものから様々な抜粋のされ方をしていて、出版社によって内容が多少違っていたりするんです。
現在、新しく出版されているものはある程度統一されているようですが、当時わたしが購入した書籍では違いました。
そういった違いもものすごく気になって、本当に同じ作品なんですが、何度も何度もいろんな出版社から出ている本を読み比べ、とにかく宮沢賢治の世界観に近づきたかったんですよね。
そのうえでレポートを仕上げたかったし、やっぱり宮沢賢治の作品をいい加減な気持ちで題材にしたくなかったという思いもあります。
そしてついには【銀河鉄道の夜】の最後に出てくる【南十字星】を見るために、実際にニュージーランドまで行きました。(えー!)
高校生で若さの勢いがあったとはいえ、思えばすごい行動力だったね…
そういう強い思いは人を動かすということじゃのぅ
しかも家族旅行とかではなく、一人で行きました。
夏休みに1か月くらい。
高校生の語学留学制度を利用して単身ニュージーランド、クライストチャーチの郊外にホームステイさせてもらうことにしたのです。
ちょうどそのころ、進路に関しても迷っていたので、そういったことも含めて、
これは自分にとってのほんとうの幸い探しの旅でもありました。
ほんとうの幸い探しと南十字星
ニュージーランドは地図で見てわかるとおり、南半球の国です。
日本が夏休みということは、ニュージーランドは冬。
しかも星を見るためにあえて郊外の田舎の方を選んでいるので、それはもう美しい星空を見ることができました。
「あれがサザンクロスよ」と教えてもらったときの、あの瞬間といったら!
夜空にはそれまで見たこともない南半球の星座が広がっていて、思わず涙があふれてくるくらい。
本当に言葉を失う美しさが広がっていました。
正直わたしは田舎育ちでしかも星がきれいな町で育っているので、星空は見慣れていたはずだったんです。それでも感動したんです。
その夜空を毎晩毎晩、飽きもせず2時間くらい眺めていました。
【銀河鉄道の夜】はもう暗記するくらい読んでいたので、
ひとりでぶつぶつつぶやきながら、あの星座を目指して銀河鉄道は走ってたんだなぁと妄想するわけです。
ホストマザーは呆れてたけど、わたしの強い思いを知ってか、風邪ひかないようにって毎晩暖かい飲み物と毛布を用意してくれました
いろいろ感謝じゃのぅ
静かな満点の夜空を見上げながら、わたしがたどり着いた南十字星。
その後、わたしをアメリカ留学へと導くことになったのです。
そのアメリカ留学がとてつもなくわたしに与えた影響は大きいものとなりました。
今は保育士、でも…
今、職業的には保育士で、単なるパート主婦です。
一見、アメリカ留学関係ある?と思われがちですが…、
生活の中で、アメリカ留学で学んだこと、というのは様々な場面で役に立っていたりします。
例えば食事、わたしはアメリカで、はじめてメキシコ料理というものを知ったのですが、家庭でメキシコ料理は定番メニューになっていたりしています。
他にも様々な国からきた留学生たちに自国の料理を教えてもらったので、
輸入品のお店などに行って、「これはこういう風に使うとおいしくなる!」というがわかるので、様々な国の料理を家庭で楽しむことができたりします。
仕事で言えば、保育園でも英語教育が盛んです。
わたしの職場でも外国人講師の先生がきますが、すっかり英語を忘れ去っているとはいえ、日常会話くらいなら聞き取れますし、会話もできます。
アメリカで学んだチャイルドケアの知識も日本の保育で役に立つことも多いです。
もちろん、宮沢賢治作品の絵本を紹介することもありますし、
何より童話作家としての宮沢賢治の影響を受けて、わたしも趣味で作品を作ったり、なんてこともしていました。
子育て中は難しかったけど、またお話書いたり絵を描いたりはしようと思ってるんだよね
岩手、花巻へ
アメリカに滞在中、一時帰国をしたときに念願の岩手へ行きました。
宮沢賢治のふるさとへ
もともと、岩手への思いは強かったのですが、わたしの地元は関西で、なかなか岩手へ行く機会に恵まれませんでした。
ニュージーランドへはひとりで行けたのにね
未成年が宿を借りるのは大変じゃからのうぅ。今は18歳で成人になったが、高校生では同意書なども必要じゃから、なかなか自由がなかったのは仕方あるまい
そうなんだよ。高校卒業して、ハタチになってからやっと自由に動けるようになったというか
岩手へ行ったのは20年以上前のこと。
とにかく宮沢賢治に関わる場所へ行きたくて、調べまくってひたすらめぐりました。
宮沢賢治記念館、宮沢賢治イーハトーブ館、宮沢賢治童話村、羅須地人協会。
さらには宮沢賢治が愛した温泉につかり、ゆかりの宿にも宿泊しました。
あちこちに宮沢賢治を感じられて本当に感動的な旅だったよ
バックパックひとつもって旅をしていたのですが、どこにいっても宮沢賢治が愛されているのが伝わってきて、本当に楽しかったです。
当時はアメリカにいたし、もうなかなか岩手まで来れないだろう、と思って、写真をとったり、うろうろしていたら、声をかけてくださった方がいました。
そのころはまだ生前の宮沢賢治をご存じの方がいらっしゃったんです!
もう本当に偶然としかいえないんですが、
わたしが「宮沢賢治様が大好きでずっと花巻に来るのが夢だったんです!」と話をすると、
家に招かれてお茶やお菓子を出していただき、宮沢賢治の思い出話をしてくださったんですよね。
いや、もうとてつもなく貴重な時間でした。
もう一度行きたい、花巻
なかなか東北まで行く機会はないですが、子育てが落ち着いたら行きたい場所のひとつが花巻です。
もうあれから20年以上も経っているので、震災等もありましたし、いろいろ変わっていることもあると思いますが、もう一度宮沢賢治をたどってみたいです。
結局、何を伝えたいか、というと
「ここへ行きたい!」とか「これをやりたい!」という気持ちは大事にしたほうがいい!とと思うんですよね。
なにがきっかけで人生が大きく変わるような出来事に出会うか、人生の転機になるような人物に出会えるかわかりません。
きっかけはささいなこと
本当に何がきっかけでどうなるかわからないもんです。
わたしも宮沢賢治の作品に出会えなければニュージーランドへ行っていなかっただろうし、ニュージーランドへ行っていなければアメリカに留学もしていないと思います。
そう考えると、本当に人生を大きく変えてしまう作品に出会えたことは、幸せなことでもあり、不思議な縁でもあります。
南半球も、やっぱりもう一度行きたくて今度はオーストラリアへの旅を計画していたりします。
独身なら行きたいと思ったら飛行機乗ってそうだけど
おまえさん、お金がたまったら旅に出てたからなぁ
ホント、大人しくなったもんよ、わたしも
仙台の伊達政宗公にゆかりの地も訪れたいと思っているので、そのときにまた花巻にも行けるといいなぁと思っています。
できない理由を口にするのはやめる
よく、これやりたいなー、と思ってみても、お金がないから無理、時間がないから無理、子育て大変だから無理、とどうしてできない理由を作ってしまいがちです。
わたしも、今は無理だなーとかどうしても思ってしまうところがあります。
だけど、無理無理、といって先延ばしにしていたらやりたいことはできないままになってしまいます。
だから、今は無理かもしれないけれど、どうやったらこの【やりたいこと】ができるようになるか、を考えてみよう。と思うようにしています。
若い頃はいろんなものに縛られないで自由に動き回っていたけれど、
家族ができて、自分中心の生活ができない今だからこそ、
時間を大切に、やりたいことができるように工夫して過ごしていきたいな、と思う日々です。